“神社”の検索結果
髙野神社(たかのじんじゃ)
神社の由緒と概要当社は岡山県津山市二宮に鎮座する延喜式内社である。2年目近隣神社と連携・協力して、祭礼を盛り上げてゆく。無形民俗文化財指定指定なし備 考第2期過疎地域神社活性化推進施策【施策1】指定神社(令和3年~令和6年6月末日) (令和5年2月現在) 。
令和6年05月21日
賀茂那備神社(かもなびじんじゃ)
通 称 鎮座地島根県隠岐郡隠岐の島町加茂342番地旧社格村社本務兼務の別本務氏子数120世帯 約350人神職数3名宮 司野津 研吾選定理由現在45歳になる宮司(平成29年宮司就任)は、神明奉仕、祭祀の厳修はもとより神社の護持運営・興隆に、勤勉且つ熱心な姿勢で取組んでおり、神社総代をはじめ氏子からの信任も厚い。また、昨年本殿が隠岐の島町の文化財に指定されたことにより、神社を中心とした街作りを、宮司、総代、氏子及び地域住民が一丸となり、計画・準備しているところである。今後、県の文化財指定も目指しており、更なる神社整備を行う予定である。
令和6年05月17日
八幡神社(はちまんじんじゃ)
また、宮司は現在、支部長の任にあることから支部管内での相互扶助体制の構築が期待でき、さらに自身の兼務神社2社で第1期の取組みを実施した経験が活かされることから選定した。神社の由緒と概要「当村鈴木某祖先より鎮守として崇敬せしところ、弘安年中(1278-1287)村民等同氏に協議し氏神と為す」という『神社明細帳』。「慶長15(1610)年の本殿上棟式に始まり、新しくは明治四十三年本殿御造営の棟札あり」『神社財産登録台帳』。
乎彌神社(おみじんじゃ)
宮司も熱心であり、神社役員、地域全体での取組みが見込めるため、選定した。神社の由緒と概要当社の創始は悠久の上代で、その年詳らかならずと雖も、往昔この地に繁栄せし天之児屋根命一世の孫、巨知人命の後裔が、同命を祖神として祀り、後また巨知人命の御子、梨津臣命が威徳優れ、この地の開発に努められた。巨知人命を奉仕せし社を「乎彌神社」と奉称し、梨津臣命を奉仕せし社を「乃美神社」と奉称し、両社とも延喜の制による式内神社である。
令和6年05月15日
御霊神社(ごりょうじんじゃ)
通 称 鎮座地奈良県五條市霊安寺町2206番地旧社格県社本務兼務の別本務氏子数1,039世帯 2,842人神職数1名宮 司藤井 利夫選定理由第1期での指定神社であるが、成果が出始めてきたところで新型コロナウイルス感染症の影響を受け、3年目の活動に支障をきたした。 神社の由緒と概要延暦19年(800年)、桓武天皇勅使葛井王により創建されたと伝わる。桓武天皇の世になっても災い多く、葛井王を遣わせて内親王を皇后に復位し、墓を御陵とし、霊安寺と御霊神社を創建して慰霊した。
令和6年05月13日
雙栗神社(さぐりじんじゃ)
[caption id="attachment_11710" align="alignnone" width="300"] OLYMPUS DIGITAL CAMERA[/caption] [caption id="attachment_11711" align="alignnone" width="300"] OLYMPUS DIGITAL CAMERA[/caption]通 称 鎮座地京都府久世郡久御山町佐山双栗55番地旧社格郷社本務兼務の別兼務 氏子数280世帯 1,000人神職数1名宮司代務者中嶋 茂博選定理由佐山地区と林地区の氏神神社。神社の由緒と概要社伝によれば、当社は羽栗郷(佐山村)・殖栗郷(佐古村)・拝志郷(林村)の鎮守社であった。やがて佐古村に若宮八幡宮が創建されると、雙栗神社は佐山・林の二ヵ村の氏神となる。
戸宮五社(とのみやごしゃ)
神社の由緒と概要 年間の祭祀祭礼・行事予定年頭祭(1月2日)、春祭・厄神祭(4月5日)、 秋祭・白山社祭(9月)、新嘗祭・秋ずすめ(神職による託鉢)(11月)活動方針(将来の展望)期間内において神賑行事の復興。無形民俗文化財指定指定なし備 考第2期過疎地域神社活性化推進施策【施策1】指定神社(令和3年~令和6年6月末日) (令和5年2月現在) 。
深江八幡神社(ふかえはちまんじんじゃ)
また当市では、自治体と協力し獅子舞の継承へ神社や青年会と協力して伝統芸能の継承にも尽力している。神社の由緒と概要羽咋村よりの分村で、文明2年羽咋神社の神主羽咋公宮谷大膳高家が摂社八幡社を守護移転し、社殿も伝器も深江村に移し、近世は深江八幡神社と称す。明治に入り八幡社と称し、大正2年八幡神社に改称す。
大湊神社(おおみなとじんじゃ)
通 称 鎮座地福井県坂井市三国町安島23-15-1旧社格郷社本務兼務の別本務氏子数約340世帯 約900人神職数2名宮 司松村 典尚選定理由過疎地域に該当する神社ではないが、都市部から離れており人口の減少がみられる地域である。廃れてしまった祭祀の復興をしようという動きがあり、復興を図ることで神社の維持発展へとつなげてゆきたい。選定神社は地元で観光地としてもある程度の知名度があり、てこ入れ次第で発展する可能性が十分ある。
川合神社(かわいじんじゃ)
先ずは川合神社にて活性化を図りゆくゆくは川口地域全体を活性化させてゆきたいと考える。神社の由緒と概要雄略天皇22年(478年)創立といわれ、川口村の産土神として信濃川と魚野川の二流併合する崖上に鎮座していたことから「川合神社」の社号となった。年間の祭祀祭礼・行事予定歳旦祭(1月1日)、春季例大祭(2月19日間近の土、日曜日)、夏季例大祭(7月18、19日間近の土、日曜日)、川口まつり共催武者行列「泥障奉納」(7月最終土曜日)、 川口まつり共催「安全祈願祭」(7月最終日曜日)、 大麻頒布(11月23日)、除夜祭(12月31日)活動方針(将来の展望)指定期間終了後も町内、町外問わず多くの参拝者が気軽に訪れられるような神社にしてゆきたい。