過疎地域神社活性化への取り組み

八幡神社

令和6年05月17日

通 称  
鎮座地 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町勝浦859番地
旧社格 村社
本務兼務の別 本務
氏子数 800世帯 1,921人
神職数 1名
宮 司 髙橋 正樹
選定理由 過疎地域自立促進特別措置法にいう「過疎地域」に該当する那智勝浦町に鎮座する。鎮座地は漁村地区にあり氏神信仰が根付いていることから、今後の祭祀の振興や教化活動により、祭礼の維持・発展が見込まれる。また、宮司は現在、支部長の任にあることから支部管内での相互扶助体制の構築が期待でき、さらに自身の兼務神社2社で第1期の取組みを実施した経験が活かされることから選定した。
神社の由緒と概要

「当村鈴木某祖先より鎮守として崇敬せしところ、弘安年中(1278-1287)村民等同氏に協議し氏神と為す」という『神社明細帳』。古くは大勝宮と称せしとの伝承あり。
「慶長15(1610)年の本殿上棟式に始まり、新しくは明治四十三年本殿御造営の棟札あり」『神社財産登録台帳』。 

・合祀
明治44年9月15日、町内字祭渡島海中の岩上に鎮座無格社祭渡神社(祭神猿田彦神、由緒往昔備後国靹浦渡ノ神社より勧請すと云う)を本殿に合祀する。
明治10年8月15日、村内字神明に鎮座神明宮を本社境内へ移転する。(祭神皇大神、保食神の2神、由緒不詳、社殿総欅白木桧皮葺流造、桁行3尺5寸、梁行2尺6寸5分、鈴門高さ6尺横開き5尺)
『神社明細帳』由緒不詳なれども「上鏡天和癸亥(1683)当神社神主3代末高橋杉太夫藤原実次代と銘記の御神鏡あり、当社神主4代高橋右近藤原実晴貞享3(1686)年より代々村社八幡神社の両社に奉仕す」とあり、『高橋文書』又町名にも神明、神角が残されており古き勧請なり。
但し昭和31年5月2日、社殿の老朽、裏山崩壊危険、護国神社建立等の事情により本社に合祀する。
後、昭和58年4月1日、突風による大樹倒木山崩れの直撃を受け御社殿は全壊する。
平成御大典記念事業として平成2年6月2日、勝浦護国神社として復元御造営成る(総桧銅板葺)。

・社叢
昭和34年の伊勢湾台風により樹齢300年近き杉十数木がねじ切れなぎ倒され、更に平成2年の19号台風により椎ノ木の巨木でなる森が全滅。
御社殿近くの椰ノ木(樹齢推定400年)と境内の楠ノ木(昭和天皇御大典記念樹)を残すのみとなる。
平成御大典記念事業として馬目樫1,200本、杉桧等1,300本を植樹する。

・例祭
「勝浦に過ぎたもの三つある、お寺と祭りと三水米」と古くは謡われた如く、例祭神輿渡御行列、還御舟行列を始め大黒天の黒塗り、櫂伝馬、徒士山伏、餅搗、獅子神楽、船謡等々多彩な伝統行事があり、古くからの年行司制度等も引継がれており、盛大な神賑行事が行われている。

 

年間の祭祀祭礼・行事予定

壽祭・厄除祭祈祷(初午の日)、境内社勝浦護国神社例祭(5月3日)、例大祭(9月15日)

活動方針(将来の展望) 策定中。
活動計画

1年目 検討中。

2年目 検討中。

3年目 検討中。

無形民俗文化財指定

八幡神社例祭舟渡御―那智勝浦町指定無形民俗文化財

https://wave.pref.wakayama.lg.jp/bunka-archive/matsuri/katuura.html

備 考 第2期過疎地域神社活性化推進施策【施策1】指定神社(令和3年~令和6年6月末日)
  (令和5年2月現在)

 

この神社のその他の事業