過疎地域神社活性化への取り組み

川合神社

令和6年05月13日

通 称  
鎮座地 新潟県長岡市東川口1977番地の43
旧社格 村社
本務兼務の別 兼務
氏子数 約210世帯 約550人
神職数 1名
宮 司 増川 則之
選定理由

中越地震後の著しい人口減少により参拝者も減少している。そのため、神輿や武者行列等の存続も喫緊の課題となってきている。

先ずは川合神社にて活性化を図りゆくゆくは川口地域全体を活性化させてゆきたいと考える。

神社の由緒と概要

雄略天皇22年(478年)創立といわれ、川口村の産土神として信濃川と魚野川の二流併合する崖上に鎮座していたことから「川合神社」の社号となった。

源義家が天喜年間(1513年~1517年)頃奥州征伐へ進んだ時、この社の前まで来ると馬が急に進まない。不思議に思って草むらを調べると小さな祠があった。義家は愛馬の泥障を献上、祈願して馬を進めたことから「泥障大明神」と称された。

古くから水の神とし、また性の神として祀られ多くの船人達、川猟の人々や婦人たちの信仰を集め、また街道を往来する人々の憩いの場でもあり人々の願い事が聞き届けられるというので、各地から参拝者が多く、また武の神も合祀されているので、武運を祈願する人などで賑わった。

大正11年(1922年)上越線の開通に伴って奥の院が分断され、信濃川・魚野川の合流の波を眼下に見ていた荘厳な眺めが失われた。

さらに40数年後の昭和41年(1966年)に再び上越線複線工事のため移転を余儀なくされ、現在地に移転された。

年間の祭祀祭礼・行事予定

歳旦祭(1月1日)、春季例大祭(2月19日間近の土、日曜日)、夏季例大祭(7月18、19日間近の土、日曜日)、川口まつり共催武者行列「泥障奉納」(7月最終土曜日)、 川口まつり共催「安全祈願祭」(7月最終日曜日)、 大麻頒布(11月23日)、除夜祭(12月31日)

活動方針(将来の展望) 指定期間終了後も町内、町外問わず多くの参拝者が気軽に訪れられるような神社にしてゆきたい。
活動計画

1年目 

社殿内外、境内地の整備を進めながら参拝者が親しみ易い環境作りを目指す。

2年目 

引続き整備事業を行いながら神社行事、頒布品等を見直す。併せて教化、広報活動を行う。

3年目 

神社と参拝者の繋がりをより密接にすべく教化広報活動を積極的に行う。

無形民俗文化財指定 指定なし
備 考 第2期過疎地域神社活性化推進施策【施策1】指定神社(令和3年~令和6年6月末日)
  (令和5年2月現在)

 

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