過疎地域神社活性化への取り組み

妻山神社

令和6年05月27日

通 称  
鎮座地 佐賀県杵島郡白石町大字馬洗2409番地
旧社格 郷社
本務兼務の別 本務
氏子数 600世帯 約1,800人
神職数 2名
宮 司 永代 龍三郎
選定理由

神社が位置する白石町は有明海に面する広い干拓地で人口約2万1千人、平成17年に周辺三町(白石・有明・福富)が合併し誕生した町である。

その中の妻山神社は氏子世帯数600程度で、近年人口も減り続け過疎地とされている。

そういった環境ではあるが、神社は古い歴史を擁し、地域を代表する祭礼もあり、それに携わる人々の思い入れも強いものがあると感じられる。また、宮司は専業にて奉仕しており、本年(令和3年)、御子息が首都圏より帰郷し禰宜に拝命され、今後将来を見据えた活動を目下計画中である。

その禰宜が率先して地域の協議会などに参画しているため、既存、新規にかかわらず地域発展事業と絡めて本事業に取組んでゆけることを大いに期待し選定となった。

神社の由緒と概要

・御祭神

抓津姫命・抓津彦命

抓津姫命は、植林の神にして建築土木を司られる神也。人間生きて往く上に必要欠く可からざる衣食住の住を位される神にして古記に御兄五十猛命、御姉大屋津媛命と共に高天の原より樹種を持ち帰られて九州を始め全国に播種されたとあり之の郷土の繁栄をもたらし国土開発に功顕された産土神で有り、我が遠い祖先の氏神様である。

・由緒沿革

この鎮座まします地は彼の有名な日本三大歌垣の一つ、杵島山の中央突端にあり山紫水明、風光明媚にして春は桜、秋は紅葉と人の絶え間なく大いに賑わう。

之の地は元妻山城跡にて、勤王の士、白石氏の居城(元寇の役には白石五郎通恭氏子を率い連れ博多の浜に出陣奮戦す。)また南北朝には南朝に属し白石彌次郎通治は三河入道通臣、足利軍をこの城で迎え撃つ等古戦場跡にして、東南方に隆城(須古城)は現在須古小学校の校庭の一部になりにしも戦国時代(元亀天正の頃迄)平井常治の居城にして、九州の二島五州の太守龍造寺隆信の攻める処と成り之を破り、この城に9ヶ年佐嘉城より隠居城として居城するも島原の有馬攻めに出陣する時、弟の信周に之を譲る。之が須戸邑祖にして杵島神社の御祭神也。

妻山神社は社記に太古に始まるとあるが、之の戦禍に罹り、古文書其の他も焼失散逸し、その知る由もないが、須古初代邑主安房守信周が慶長12年8月(1607年)従来の社地(権現山、栗岡権現の北下に上宮を置き)より、現在の社地に社殿遷座依頼、代々の邑主の崇敬篤く、その後(159年後)第10第邑主鍋島安房守茂訓公の時、明和2乙酉年4月(1766年)神殿改築、11代邑主安房守茂倫公の時、天明5乙巳年6月(1786年)に宝殿造営を、寛政9丁巳年5月(1798年)に拝殿を夫々再造営され、第14代鍋島安房守茂真公(現須古小学校の全身、三近堂創始者)の時、天保6乙未年11月(1836年)から天保7丙申年4月(1837年)にかけて拝殿再建、昭和8年癸酉7月(1934年)楼門改築、その後妻山神社復興奉賛会を立ち上げ、昭和42年幣拝殿を増築、52年妻山神社神殿改築、53年杵島神社拝殿銅板葺き替え、平成6年妻山神社・杵島神社御大典記念の社務所を新築、平成7年7月楼門屋根替へ、平成11年8月県道拡張に伴う鳥居、石段移転並びに下宮(御旅所)改築、平成11年10月妻山神社中拝殿銅板葺き替え、御神輿修理、漆塗り替え等を氏子会、奉賛会の大切な浄財によりこれらの事業なし現在に至っている。

年間の祭祀祭礼・行事予定

妻山神社 例祭(10月19日)、

杵島神社 夜祇園祭(9月14日)、例祭(9月15日)、招魂祭(9月第3日曜日) 

妻山神社 神待ち祭(11月1日) 

両社 新嘗祭(11月26日)、祈年祭(2月22日) 

妻山神社 夏越の大祓式、茅の輪くぐり神事(6月30日)、師走の大祓式、御火焚き神事(12月28日) 

活動方針(将来の展望)

今後過疎地域問題はどの地域でも出てくる課題であり、それに対して効果的な対策をし続ける必要がある。そのため1社だけの問題ではなく常に連携できるシステム(相互扶助できる関係)を試行錯誤しながら作り続けられるようにする。また今回の指定神社期間中に各神社の課題点が浮きぼりになり見える化する。そのためノウハウを持っている神社の力が直線的に協力できる可能性が高くなり、次の一手が打てる可能性が高い。そういった組織づくりや自立型運営ができるよう指定神社として提案し続けてゆきたいと思う。

あわせて過疎地域の経済、神社だけでなく白石町内の商工業との協賛を図り人口増への一助となるよう取組む。(結婚式を行うにあたり、町内の業者をあっせんし商工会を発展、仕事を作ることにより人口増など考えられる効果になる。)

テーマ「時代に合わせた発信の方法と過疎地域だからこそできる施策案」

期間中の目標

・4月より白石町総合計画審議会(町づくり最上位計画)委員に入り町づくりに対して神社のあり方現状などを提案し、歴史的建造物の活用ならびに地域文化継承のため意見をお伝えできる状況にある。そのためまずは、妻山神社及び町内にある神社運営の現状を好転させるべく支部神社合同の神前結婚式宣伝映像の作成を行政に提案しており、過疎地域の全体のモデルケースとなるよう実現できるよう活動してゆく。

・妻山神社にて流鏑馬神事を乗馬クラブ「バルバロ」とともに町内外への情報発信をSNSなどの広報活動に取組み更なる参拝客増加を図る。

・兼務神社杵島神社の神賑行事の赤ちゃん相撲を須古歴史保存会とともに更なる町氏子ならびに町外からの参加を呼びかけ観光事業として諸団体を巻き込んで行いたい。

・佐賀県の指定神社として佐賀県過疎地域神社活性化推進会を立ち上げ特別合同御朱印帳ならびにマップの制作を行う。これをメディアへ発信し佐賀県過疎地域神社に人が行き来する施策として崇敬者数や参拝者数増加を狙う施策として行いたい。

活動計画

1年目

・神前結婚式宣伝映像の実現に向けて関係神社ならびに外注業者との交渉と発信設計を協議する。

・バルバロと情報発信の方法などを協議する。(すでに担当者とは連携取れる状態)

・町づくりの団体ならびに行政とも連携できるよう協議する。

・推進会を立ち上げ運営方針などの協議を行う。今回の施策のための説明を関係神社にて行い、任意の関係神社数を決定させる。推進会には運営事務局と参加神社との連携方針を協議する。

2年目

・宣伝映像撮影にかかった費用を補填する。

・バルバロとの新たなプロジェクトを実行する。(1年目にて協議した内容)

・新たな施策で出た費用を補填し、支援金集めの施策を協議する。

・御朱印帳、御朱印とマップの制作構想を協議する。参加神社にてSNS運用していない神社には補助または宮司が御高齢の場合、氏子崇敬者にて候補者を募り代理で運営して戴けるように交渉補助を行う。

3年目

・宣伝映像による効果測定を検証する。検証は前年との問合せ件数、来社数、神前結婚式数を比較する。

・バルバロと行うプロジェクトが継続可能かどうか協議し、地域住民も巻き込みながら施策を行う。

・前年比検証することで次の一手を協議し、低コストで高いパフォーマンスができるようにする。

・御朱印帳、御朱印の発注と参加神社の関連マップを制作もしくは発注する。参加地域のメディアにて制作企画などを発信して戴けるよう交渉。販売までいければ販売。御朱印帳の販売は各神社の財政状況もあるので協議する。御朱印帳、御朱印を買って戴いた方任意で住所を記載して戴く。そしてその名簿を作成する。その名簿者は今夏の施策に御支援戴いた方なので、今後もきちんと対応すれば引続き御支援戴ける可能性が高い。

無形民俗文化財指定 指定なし
備 考 第2期過疎地域神社活性化推進施策【施策1】指定神社(令和3年~令和6年6月末日)
  (令和5年2月現在)

 

この神社のその他の事業