通 称 | |
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鎮座地 | 大分県宇佐市安心院町妻垣203番地 |
旧社格 | 県社 |
本務兼務の別 | 兼務 |
氏子数 | 115世帯 250人 |
神職数 | 1名 |
宮 司 | 妻垣 常彦 |
選定理由 |
本施策実施希望を全県下募集した所、希望神社はなかった。今般は、春日神社(別表神社)宮司の了解を得、当該神社職員で過疎地域神社宮司を兼務する青年神職に依頼し受託されたものであることを御理解願う。 当社は過疎地域にあるが、厳かな社殿と広大な境内地を有する由緒ある古社として地元の崇敬を集めている。しかしながら、護持運営には金銭的・人的に苦慮しており、今後の対策が喫緊の課題となっている。妻垣宮司は平成21年より当社禰宜、令和元年宮司となり本年から当県神道青年会長に就任するなど意欲溢れる青年神職である。地域の氏子の協力を仰ぎ、当該神社の文化的信仰価値を高めるとともに、内外の参拝者にとって魅力ある神社となるよう境内整備を行い、将来周年地域神社の合併をも視野に入れ本施策に取組む予定である。 |
神社の由緒と概要 |
祭神:比咩大神・応神天皇(八幡大神)・神功皇后 由緒:神代、神武東征の折、宇佐国造の祖宇佐津彦命、この処にて大饗を奉り、侍臣天種子命、宇佐津姫命を娶りし地である。天平神護元年(765)、八幡神が勅使石川朝臣豊成に御神託を下し、社殿を創建。以後、宇佐宮八ケ社の一社となる。 鎌倉末期には足利尊氏公が宇佐宮にて戦勝祈願ののち、当社にて流鏑馬を奉納。戦国期には豊後大友氏により社殿が焼き討ち。その後、中津藩主黒田長政公によって再建。続いての細川忠興公をはじめ、歴代藩主の庇護を受ける。明治12年、県社に列格され、宇佐両院の宗社として崇敬をされる。 大正2年には林正木氏によって、境内に中等教育校そして九州で唯一の神職養成学校として騰宮学館が創設。昭和20年までの間、教員をはじめ、多くの神職を輩出した。昭和37年には文豪松本清張による当社を舞台にした「陸行水行」が執筆される。 |
年間の祭祀祭礼・行事予定 |
歳旦祭(1月1日)、祈年祭(3月23日)、元宮祭(4月29日)、例大祭・神幸祭(10月22・23日)、新嘗祭(12月23日)、大祓式・除夜祭(12月31日)、月次祭(毎月1日) |
活動方針(将来の展望) |
当社は5地区の氏子で構成する小さな里宮である。神社が鎮座する宇佐市は過去5年で人口が5千人以上減少し過疎化が著しく進んでいる。当社の氏子世帯数もそれに比例し、その多くは世帯主が60代以上になる世帯が6割を越え、氏子のみでの神社護持は限界を迎えつつある。当然のことながら神社を維持するため、賽銭、氏子からの祭典費も減少し、氏子への負担を強いる他ないが年金暮らしの氏子に対し、祭典費の値上げは神社離れを招き、現実的にも難しく、近年は経費削減などの事業仕分けも講じたが、赤字に転じていた。当面は預貯金を取り崩してきたが、それも底をつき始めている。当社は由緒を始め、神武東征、そして松本清張ゆかりの地として歴史的魅力がある。そこで氏子には限界があるため、10年前より氏子外を対象にした教化広報活動を展開している。おかげで、賽銭などの社入金も徐々に増えてはいるが、運営面ではギリギリの状況である。このままの人口減少による運営状況が続けば、成り立たないことは確実である。 今後、神社を維持運営してゆくための手段として、今対策事業を活用し、①氏子の人口流出、②他地域からの移住、③氏子外崇敬社の参拝増加、④境内整備・災害対策を主体とした活動を展開したい。また神社の根本である祭典に関しても、近隣神社では同様の問題により恒例祭の削減が進んでいる。まずは以前のように複数奉仕による祭典奉仕の充実を図りたい。当社では宮司と禰宜の2人体制に、助勤神職を加えておこなっている。しかし、コロナ禍ということもあり現在、宮司1人のみでの奉仕となっている。また低俸給もあってか、現在、禰宜が不在の状況である。宇佐支部には約200社あるが、急速な人口減少に伴い、山間部を中心に、今後、神社合併が進むのは確実である。その時、合祀先の受け皿となるのは山間部に位置する当社がその1社となるのは人口減少の観点からみても必定である。将来的には周辺地域の拠点神社となるであろう。その時にあやふやな話合いによる氏子地域の拡大によって、吸収神社の境内管理の不十分、従来の氏子と新しく氏子となる人とのトラブルが発生することが予想される。その時にあたふたせぬためにも取り決め(規則)などの整備も行いたい。 当社境内は御神山を含め広大である。年数回氏子が草切りをしているが、なかなか不十分なのが実情である。また樹木も枝打ち間伐についても年間予算の都合により、少しずつしかできず、参道や社殿にも影響が出始めている。また近年は数年に一度といわれる風水害が頻繁に押し寄せている。過疎高齢化によって年々、管理は不十分となってゆくことが予想される。境内整備を含め、災害対策も講じてゆきたい。 |
活動計画 |
1年目 ・恒例祭時に大祭の充実 神職の複数奉仕による祭典奉仕。 大祭式時の正服著装。 ・境内の宇佐両院の戦没者忠魂碑及び供養塔の慰霊祭 遺族会が主体でおこなわれていたが高齢化・会員減少に伴い、祭典及び管理不足により、近年は境内隣接の当社が祭典及び通常の管理をしている。また地元中学校による平和学習の場所としても活用できるよう働きかけている。資料収集や冊子などの作成及び講演の機材を購入したい。 ・秋季大祭にあわせての神賑行事 氏子の高齢化により、神社への参拝が難しくなっている。近年は神輿を軽トラックに載せて氏子地域を神幸している。周辺神社においても当社と同じ境遇であり、神輿自体も朽ち果てている。本年は氏子地域外にも周辺地域にも拡大し、活性化を図りたい。また神賑行事についても充実を図りたい。コロナ禍ということもあり、従来の神賑行事が難しい場合は、祭典期間中に併せて町内のランドマーク施設にもなっている宇佐市安心院支所が一昨年改築され、隣接には文化会館もある。その施設の一角を利用して氏子や地域の人が神社や地域の風景を撮影・製作した写真展・作品展(仮)を実施したい。(次年度に実施可) ・広報教化活動の拡充 当社では年2回、宮司の自費で社報を作製している。部数を増刷し、氏子外に配布したい。またホームページも宮司の自費で制作しており、不定期であるが更新している。更新回数を増やしたい。初詣・秋季大祭をはじめ、大きな行事などにおいて、新聞折込チラシを作製し、周辺地域に周知参拝者増をねらいたい。SNSなども併せて活用し、幅広い年齢層にも周知し参拝者増を目指す。 2年目 ・境内整備、災害対策の充実 1年目の実施計画を継続しながら、境内の枝打ち・間伐など業者を入れて大幅に実施したい。また、元宮の参道も荒廃しており、補修をおこないたい。 3年目 ・未来へ向けての神社総代会などの規則構想案の作成 1年目、2年目の実施計画を継続しながら、確実に迎える神社合併に向けて、構想を練りたい。 |
無形民俗文化財指定 | 指定なし |
備 考 | 第2期過疎地域神社活性化推進施策【施策1】指定神社(令和3年~令和6年6月末日) |
(令和5年2月現在) |