通 称 | |
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鎮座地 | 山口県下関市豊北町大字田耕2707番地 |
旧社格 | 村社 |
本務兼務の別 | 本務 |
氏子数 | 265世帯 |
神職数 |
1名 |
宮 司 | 坂田 康子 |
選定理由 | 田耕地区は、過疎地域ではあるけれども、県指定文化財である7年に1度の「浜出祭」の継承に、地域こぞって取組まれている。数年前の台風で、楼門が倒壊したのだが、見事に立て替えられ現在に至っている。「何が何でも田耕神社なのだ」という「帰属の力」の強さを感じさせられる。次の「浜出祭」がこの指定が終了した翌年に当たる。郷土の誇りである「浜出祭」、昨今は昔のままに伝統を重んじて継承してゆくことが難しいのではと危惧されている。そういった中で指定を受けることにより、さらに「地域の力」がアップしてゆくことを期待しての選定である。 |
神社の由緒と概要 | 当社は、明治41年(1908)の神社統合で、天満宮(江戸時代の明和2年(1765)の棟札あり)と八幡宮(室町時代の長禄3年(1459)の棟札あり)が合併して成立した。昭和30年(1955)、町村合併により、浜出祭の特殊神事を伝える厳嶋神社を合併し、1村1社として現在にいたっている。伝承では、天満宮は平安時代の長治元年(1104)、法住寺僧空了が太宰府から勧請したという。当初、滝の庄の総社として奉祭したが、その後当地内を転々として、室町時代の応永31年(1424)に松崎天神として、現地点に祭られた。また八幡宮は、宇佐八幡宮から勧請され、「地頭豊田田耕忠種建立の棟札」がある。田耕の地名をとり、豊田氏の一族が田耕氏を名乗るようになったと考えられる。さらに厳嶋神社は、古社としての伝承があり、浜出祭の由来も、元冠の役に敵国降伏の祈願がなされ、その戦勝により鎌倉時代の弘安6年(1283)から、浜出祭が始まったと云われている(旧村社)。 |
年間の祭祀祭礼・行事予定 |
歳旦祭(1月1日)、祈年祭(2月上旬)、春祭(境内社・東神社例祭)(4月中旬)、根付祭(6月中旬)、風鎮祭(9月上旬)、秋季例祭(11月2,3日)、新嘗祭(11月下旬)、大祓(6月30日、12月31日)、浜出祭(7年に1度・4月上旬) |
活動方針(将来の展望) |
・県指定無形民俗文化財である浜出祭を実施し、後世への継承に務め、併せて神社の整備、営繕管理の充実をはかる。 ・神社に多くの人の足が向くよう行事や広報の仕方を工夫する。 |
活動計画 |
1年目 ・浜出祭に必要な物品の確認、必要な物の新調・修繕・古い物の処分。 ・浜出祭の中心的行事である「鰤切」の練習、秋祭での披露。 2年目 ・神社に浜出祭を説明する展示物を作製して展示。 ・浜出祭の重要な行事である「奏者」の作法を練習、秋祭りでの披露。 3年目 ・市内の博物館、美術館等に浜出祭関連の企画展を依頼。 ・各行事の練習。 |
無形民俗文化財指定 |
浜出祭―山口県指定無形民俗文化財 https://bunkazai.pref.yamaguchi.lg.jp/bunkazai/detail.asp?mid=60026&pid=bl |
備 考 | 第2期過疎地域神社活性化推進施策【施策1】指定神社(令和3年~令和6年6月末日) |
(令和5年2月現在) |