通 称 | |
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鎮座地 | 広島県山県郡北広島町宮地198 |
旧社格 | 村社 |
本務兼務の別 | 本務 |
氏子数 | 170世帯 350人 |
神職数 | 2名 |
宮 司 | 中束 勇太郎 |
選定理由 |
亀山八幡神社が鎮座する北広島町は県の中西部に位置し、人口1万8千人、高齢化率37%の過疎地域である。中束宮司は年齢が36歳と若い宮司であるが、郵便局に勤めながら、奉仕神社の御神徳の発揚、氏子への教化活動等に熱心に取組んでいる。 また、当該神社の9月の例祭には、神社一帯を会場に町や観光協会でつくる実行委員会主催で『乙九日炎の祭典』が開催されている。この祭典はこの土地が室町時代「雄鹿原合戦」の古戦場だったことに因んで、鎧兜に身を包んだ武者が夜間、松明片手に練り歩く「松明行列」や境内で行われる「大松明の練りまわし」などが人気で、炎と光のお祭りを楽しもうと毎年2千人の来場者で賑わっている。 『炎の祭典』を通して、行政や観光協会、教育委員会、自治会等の一定の協力体制が既にできていることに加えて、これまでの集客能力を最大限に活かして、日中に行われている「御神幸」をはじめとする神事や祭典に関心を持ってもらう活動や、例祭以外の時期にも神社への参拝を促すため、「炎」や「光」をテーマにした授与品の開発、また若い宮司の発想によるSNSを使った情報発信、子供を巻き込んだ祭事の実施などを続けることで、当該神社並びに地域の活性化や再生に貢献できるものと判断した。 |
神社の由緒と概要 |
広島藩の地誌『藝藩通誌』によれば、天喜元年(1053)この地の開拓者の岡田七郎右衛門が西八幡原の地で神鏡を得て、その地に社を建てて八幡宮として崇め祀ったと伝わる。慶長2年(1597)新庄日野山城主の吉川広家公の新築(再建)とある。 |
年間の祭祀祭礼・行事予定 |
秋の例祭「乙九日祭」を中心に11月の新嘗祭、新年の歳旦祭、4月中旬の春祭、7月の夏越祭。 |
活動方針(将来の展望) | 少子高齢化によって地域の過疎化が進む中で、地域外からも多くの崇敬社を集めることで、地域の氏子がこの神社に誇りを持ち、祭祀や行事の振興にも積極的に関はり、守ってゆきたいと思うような神社であり続けたい。 |
活動計画 |
1年目 「炎」や「光」をテーマにした授与品の開発。神社のインスタグラムやホームページの開設と広く広報活動。 コロナの影響が減るであろう2年目、3年目に実施する計画の神楽や手筒花火、「子供武者行列」の準備。 2年目 『炎の祭典』にあわせた地域の神楽の復活。境内を中心に手筒花火の実施。「日本人と炎」や「日本人と光」をテーマにした講演会の実施。 3年目 教育委員会や子供会等に呼びかけ、日中の御神幸にあわせた「子供武者行列」の実施。 |
無形民俗文化財指定 | 指定なし |
備 考 | 第2期過疎地域神社活性化推進施策【施策1】指定神社(令和3年~令和6年6月末日) |
(令和5年2月現在) |