通 称 | |
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鎮座地 | 岐阜県飛騨市古川町太江字神垣内2669番地 |
旧社格 | 郷社 |
本務兼務の別 | 本務 |
氏子数 | 105世帯 105人 |
神職数 | 2名 |
宮 司 | 田近 和清 |
選定理由 |
例祭において県神社庁長が献幣使として参向する神社であり、「神楽獅子」が県指定無形民俗文化財に指定されている他、火縄銃の神事で有名な神社でもある。 神社に対し、責任役員や総代、氏子の協力体制は万全としているが、氏子数が年々減少しており、「第2期過疎地域神社活性化推進施策」において神社だけでなく地域の再興に結びつけたい。 |
神社の由緒と概要 |
当神社境内の近くに、4、5千年前縄文時代中期の聚楽跡と見なされる御番屋敷遺跡があり、また、多数の遺物や祭祀遺跡(建石など)が発見されており、既にその頃より当神社の萠ばえがあったことがわかる。 社名の「高田」タカタは高台にある水田を意味し、現在地の西方五十米余りの湿田には、古墳時代祭祀に使用されたと見られる土器が数多く出土していることから、その頃には神饌田もあり、神社としての形態が整っていたものと考えられる。 また、当神社を中心に環状に配されてゐる21基の古墳は、御祭神との関係を示すこの土地の氏族の墳墓と考えられることから、当神社はこの氏族の氏神であり、日本書紀や、三代実録、新撰姓氏録等に見られる敏達天皇6年(577)飛騨にも、「日奉部」が置かれ、その伴造が萬物の繁栄の祈願をこめて始祖神の「高魂命」をこの土地に祀られたと考えるのが自然である。 更に、当神社の隣にある寿楽寺付近で白鳳期の古亙が出土し、近くに釜谷古窯跡もあることから、古い寺院の存在が判明して、それは当神社の神宮寺的存在であったことが推定され、萬物すべての生成発展をつかさどる高魂命を祀る当神社は、当時広くこのあたり一帯の篤い信仰を集めていたと考えられる。 当神社の御神威の発揚について正史に見られるところでは、文徳天皇実録によれば、仁寿元年(851)正六位上に、三代実録には清和天皇貞観9年(867)従五位上を授けられ、更に醍醐天皇延長5年(927)につくられた延喜式には、2月の祈年祭に官祭の班幣を戴く飛騨国式内八社の一つに列し、国幣の小社とされている。 中世になり、後醍醐天皇の建武中興の御偉業に功績のあった飛騨国司姉小路家綱卿は、当神社を崇敬し、境内には「十楽観(館)」を設けられた。それは、平安京にならい野中に賀茂神も祀り、小島城を築いてその山々を東山、北の峰を北野、嵯峨山、城下の細江川を賀茂川と名付けられた地名がいくつか現存していることから、飛騨国統治の中枢にされたと思われ、またその館跡が現存する。 今日においても、例祭の御神幸には当時の偉容を伝える武者姿が警護に当たり、火縄銃を発射して供奉しているが、古書には神職が国司の姿をして佩剣したとある。 |
年間の祭祀祭礼・行事予定 |
歳旦祭(1月1日)、焚上祭(1月15日)、節分祭(2月3日)、建国祭(2月11日)、祈年祭(3月22日)、例大祭 (4月28日)、建武中興祭(8月13日)、姉小路祭(8月13日)、御魂祭(8月15日)、新嘗祭(11月23日)、除夜祭 (12月31日)、月次祭(毎月1日、15日) |
活動方針(将来の展望) |
格式高く由緒ある神社として伝統ある神事・祭礼行事の振興維持・継承を図る。 そのため、当面、 1、社殿社屋等を補修整備し社容を維持する。 2、祭礼行事、伝統芸能関係の衣装を更新整備する。 |
活動計画 |
1年目 ・祭礼用備品等の整備(神職用浅沓の購入、闘鶏楽撞木の購入、一文字笠の購入) ・祭礼用衣装の更新整備(舞姫、采女、前立様(子供)用衣装の購入) ・社殿の整備(拝殿濡縁欄干、敷板補修、拝殿裏石積補修、雪囲い塀の設置) 2年目 ・祭礼用備品等の整備(獅子舞用ゆたんの更新、獅子舞用締太皷両革張替補修) ・祭礼用衣装の更新整備(御巡幸諸役用衣装<白装束・白袴・烏帽子>の更新購入) ・幣殿床板一部張替補修 ・神輿倉(土蔵)屋根葺替へ補修 3年目 ・祭礼用衣装の更新整備(御巡幸諸役用衣装<白衣装・法被・闘鶏楽着物ほか>の更新購入) ・社頭境内の高張大提灯の補修 ・境内参道の舗装補修・石積補修 |
無形民俗文化財指定 |
神楽獅子―岐阜県指定無形民俗文化財 |
備 考 | 第2期過疎地域神社活性化推進施策【施策1】指定神社(令和3年~令和6年6月末日) |
(令和5年2月現在) |