通 称 | |
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鎮座地 | 秋田県大仙市神宮寺字神宮寺19-1 |
旧社格 | 県社 |
本務兼務の別 | 本務 |
氏子数 | 1,400世帯 4,300人 |
神職数 | 2名 |
宮 司 | 佐々木 宮廣 |
選定理由 | 明治14年県社に列してより、神主により行われていた獅子舞行事が禁止され、一地域の氏子集団において奉仕されていたものが、高齢と過疎のために、昭和末年中止されたものを復活させる後継者を育成することと行事の復活を目指す。第1期より継続しての選定となる。 |
神社の由緒と概要 |
或る説に大宝元年創建という。大同2年田村麻呂将軍が秋田男鹿寒風山に住む大猛丸退治に下向の折、神宮寺にて兵を募り、首尾退治の時は社殿新築する旨祈請し、帰陣の際当村へ家徒の中普請係を残し、字隠里という所に神社建立して、永久社守として6人を付け置き、現在も続いている。 寛治3年八幡太郎義家公奥羽征伐の折、当社信奉し軍功あり、帰陣の際多数奉納するも現存は、「八幡大菩薩(一流)」「七僧一二天の仏画(唐の顔軀筆)」のみである。後社伝によれば、源頼朝再建、戸沢上総之助再建とある。 佐竹公水戸より遷封されてより累代の崇敬社となり、社領30石賜り江戸往復時に必ず参拝する。現在の本殿は宝永3年義格公再建であり、安永年間の大洪水にて川欠、多くの家流失し、危険となり現在地に遷座する。幣殿拝殿は明治12年建立する。 明治4年郷社に列し、同14年10月県社に列する。同39年神饌幣帛料供進神社に指定される。大正3年愛宕神社合祀する。 平成元年3月に、社殿改修奉賛会設立され、神社大改修工事施工し、11月完成を見る。 |
年間の祭祀祭礼・行事予定 | |
活動方針(将来の展望) | 年間住居が十数戸空家になってゆく地域を兼ね、将来的に神社経営が大変だろうと思われるが、宅神祭多く、神社への参拝をどうするかが、これからの展望だろう。 |
活動計画 |
1年目 更に獅子頭、調子(神楽曲)が完成しても、直ぐに影響が出るとは多くは考えられない。 2年目 復活した獅子舞について、神社祭祀を通して、氏子総代を通して波及効果が現れ、氏子にも知れ渡ることでの効果を期待する。 3年目 神楽曲の掘り起こしが成功すれば更に一層の効果を表すことを望む。 |
無形民俗文化財指定 | 指定なし |
備 考 | 第2期過疎地域神社活性化推進施策【施策1】指定神社(令和3年~令和6年6月末日) |
(令和5年2月現在) |