通 称 | |
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鎮座地 | 福島県二本松市木幡字治家49 |
旧社格 | 県社 |
本務兼務の別 | 本務 |
氏子数 | 240世帯 1,200人 |
神職数 | 3名 |
宮 司 | 安部 匡俊 |
選定理由 |
隠津島神社は、二本松市の市街地(旧東和町)に位置し、歴史を秘めた数多くの文化財や穏やかな山村風景などの資源に恵まれている。毎年12月の第一日曜日に行われてゐる国指定重要無形民俗文化財の「木幡の幡祭り」は、実行委員会組織・関係団体などが自主的に協力している。 当該地区は農村地域であり、以前は養蚕業が盛んに行われていたが、社会環境の変化に伴い養蚕業が減少し、現在では、兼業農家の増加と人口減少・高齢化の問題に直面している。また、コロナ禍が社入減に影響している。 このような環境の中で、最近では、年間の祭事に合わせて「マルシェ」を開催し、地元特産品の野菜や農産物に触れる機会を提供し、教化実践の場を増やしている。今後の手腕に期待するところ大であり、このことが近隣神社にも好影響をもたらすことを期待し選定した。 |
神社の由緒と概要 |
当神社は、神護景雲3年(769年)に勧請された。大同年間(806年)には平城天皇の勅願によって弁天堂が建てられ、神仏混淆の社となり、後世には木幡の弁天様と呼ばれ庶民に親しまれるようになった。 天正13年(1585年)伊達政宗の兵火により全山炎上、本社・末社悉く焼土となりしも藩主や庶民の信仰が厚く、再建された。明治に至っては初年の神仏分離令によって別当治陸寺を廃し、厳島神社と称し、明治35年神社名を復旧、隠津島神社と改称、明治40年県社に列した。 後の大東亜戦争終結後神道指令によって、宗教法人隠津島神社として届出、社格(元県社)解消となったが、今日現在においても平和・招福・知恵・縁結びの神と広く深く信仰されている。 |
年間の祭祀祭礼・行事予定 |
歳旦祭・年中安全祈願(1月1日)、どんと祭(1月8日)、新入学児童入学祭・祈年祭(4月)、例大祭(4月29日)、夏越大祓(6月30日)、秋祭り(初九日祭)(10月)、七・五・三祭(11月15日)、新嘗祭(11月23日)、幡祭り(12月第一日曜)、巳己祭(60日毎に1回) |
活動方針(将来の展望) |
現代の神社の在り方について考えてゆかなければならない段階に来ている。特に神社の維持運営については、責任役員や総代が中心となっているが、人口減少や高齢化、価値観の変化によって総代の立ち位置や役割が大きく変わってきており、やがては総代会組織の維持が困難となり、組織自体が崩壊する可能性もある。これらを打開するには神社運営参画者の門戸を広くし、多くの人に関与してもらうこと、神社資源を今一度見つめ直して、神社をはじめ地元地域の魅力に気が付いてもらうことが必要。 オンラインを効果的に使用して協力者や応援者を広く募り、神社の魅力を発信してゆくとともに、神社に協力をしたい、協力したいがどうしてよいかわからない、という神社にとってありがたいニーズも少なからず存在するので、今後3年間で双方向に利のある仕組みを構築・展開してゆきたいと考えている。 神社や神社の環境が多くの人に認知されたことにより、神社の魅力に気が付いた多くの氏子が神社に積極的に参画できる環境を整えたい。 |
活動計画 |
1年目 春季例祭・夏詣・秋祭りに合わせて「こはたマルシェ」の開催。 夏詣(7月1日~10日)の開催。 護摩祈祷復活のクラウドファンディングと神社運営参画者の募集。 2年目 春季例祭・夏詣・秋祭りに合わせて「こはたマルシェ」の開催。 夏詣(7月1日~10日)の開催。 3年目 春季例祭・夏詣・秋祭りに合わせて「こはたマルシェ」の開催。 夏詣(7月1日~10日)の開催。 |
無形民俗文化財指定 |
木幡の幡まつりー国指定重要無形民俗文化財 |
備 考 | 第2期過疎地域神社活性化推進施策【施策1】指定神社(令和3年~令和6年6月末日) |
(令和5年2月現在) |