過疎地域神社活性化への取り組み

十五所神社

令和6年05月09日

通 称  
鎮座地 山梨県北杜市須玉町江草11275番地
旧社格 村社
本務兼務の別 本務
氏子数 20世帯 50人
神職数 1名
宮 司 篠原 敬逸
選定理由

十五所神社は山梨県の北西部に位置する、北杜市須玉町江草に鎮座しており、この地域は過疎法により定められた過疎地域に該当している。また、氏子数についても神社本庁より示されている選定基準を満たしている神社になる。

十五所神社は祭典を通じて地域コミュニティの重要な一翼を担っている。また、氏子総代をはじめ地域の住民と良好な関係を構築して神社の健全かつ適切な運営を行っている。

過疎地域神社活性化推進施策を実施するにあたって、当該神社の氏子総代をはじめ、兼務している近隣神社の氏子総代、所属支部とも協力体制を構築している。

今後過疎化がさらに進むことが予測される地域での神社の維持、祭典の継承を目的としている。

神社の由緒と概要

大同2年(807年 第51代平城天皇) 信濃国諏訪大社の御分霊を拝受、旧江草村の総社として村内片倉の地に鎮座、十五所神社と称した。十五所の由来は村内十五ヵ所に鎮座する神社の総鎮守という意味である。

延長5年(927年 第60代醍醐天皇) 村民増加にて参拝事情の位置不便により町屋に遷座する。

元享10年(1321年 第96代後醍醐天皇) 武田家の尊敬厚く御祈願所と定められ、武田信武により本殿を改修された。

永年10年(1513年 第104代後柏原天皇) 武田氏の一族武田彦六信意、小尾兵部尉藤原祐久が再建、更に拝殿を造営した。

永禄年中(1558年 第106代正親町天皇) 武田家から神領一石九斗四升四合と社地若干を寄進され、武田家滅亡後も徳川家から之にならって寄進を受ける。

正徳3年(1713年 第114代中御門天皇 徳川家継) 夏、塩川大洪水のため社地建造物等被害を受け、片瀬即ち後藤田(現在地)の宮司宅の横の地に遷座し社殿を再建、整備し今に至る。

尚、甲斐国志によると、明野町浅尾新田「諏訪大神社」は当神社より分霊、勧請したと記されている。

年間の祭祀祭礼・行事予定

雨乞神事 境内の左隅に小池がありこれを大日池または鏡池という。日照りが続く時に、本殿両横に置いてある円形石、長円石を池に沈め降雨を祈念すると、霊顕直ぐにあり雨を降らせるという。

甘酒祭 境内社「原山神社」の祭日は毎7月27日と定められており、この日に麦の甘酒を造り神前に献じたのち、この甘酒を飲めばその年中胃病に罹らないといわれている。

活動方針(将来の展望)

氏子崇敬者に対して、春、夏、秋、冬、歳旦祭のほかに諸祭を周知したい。(原山神、甘酒祭など)

活動計画

1年目 境内整備事業について総代会開催。

2年目 境内整備事業計画案。

3年目 境内整備事業完成。

無形民俗文化財指定 指定なし
備 考 第2期過疎地域神社活性化推進施策【施策1】指定神社(令和3年~令和6年6月末日)
  (令和5年2月現在)

 

この神社のその他の事業