過疎地域神社活性化への取り組み

琴平神社

令和6年05月09日

通 称  
鎮座地 埼玉県秩父市下影森1455
旧社格 村社
本務兼務の別 本務
氏子数 2,315世帯 5,529人
神職数 1名
宮 司 大野 至
選定理由

秩父市街地に隣接する地域で、かつては林業・畑作を行う寒村であったが、国道140号が通り、西武鉄道西武秩父駅・秩父鉄道影森駅が徒歩圏内という立地もあり、高度成長期以降、かつての桑畑は秩父市街地の拡大に伴って宅地化され、現在はキャノン電子・昭和電工の電子部品工場などの工場がある。秩父地域の中でも近年まで人口が微増する地域であったが、平成になると地場産業のセメント産業の衰退により、若者の流出や高齢化も見られるようになった。秩父市の将来人口推計試算では、影森地区で2015年比で2040年には最大で25%の減少とされ、今のうちから対策を講じる必要がある。

大野宮司は、支部内では最も若い宮司で、かつて支部の神道青年会長や支部の神社対策委員なども務めた経緯から、こうした対策に理解があり、総代や地元関係者と協力しながら、神社の護持運営に努力されている。

神社の由緒と概要

当社は武甲山北西に位置する斎所山(いわいどやま)の麓に鎮座する、斎所山の名は、武甲山を神と崇めて祭祀を行ったところから呼ばれているという。

また、この山は通称を「お伊勢山」というが、これは、文化・文政のころ、お伊勢参りに出かけた村人が、受けてきた神札を家に祀るのはもったいないと、この山中に石宮を造って神札を納めたことから付けられたといわれる。

創建は、当地が水に不便な地のため、水神として神威を発揚する「金毘羅大権現」を斎所山の頂に勧請したことによるという。斎所山は、間近に武甲山があるから、おそらく、村人はここから武甲山を望み、干ばつの折には降雨を祈請したものと思われる。更に、秩父地方に熊野修験が入ると、山は格好の行場となり、この切り立った岩場に熊野権現・愛宕権現も祀るようになったと伝え、大天狗・小天狗の石柱、天狗の飛び石、護摩壇石、座禅石などもあることから、当社の創祀に修験がかかわっていたことがうかがわれる。

明治に入り、当社は社名を「琴平神社」に改めた。次いで、明治24(1891)年には山上から現在地に遷座し、新たに社殿を造営した。

年間の祭祀祭礼・行事予定 元旦祭(1月1日)、初金毘羅祈願祭(1月10日)、例大祭(4月4日~10日の間の日曜日)、秋季大祭(10月第1日曜日)、月次祭(毎月10日)
活動方針(将来の展望) 新型感染症発生以前の状態までには、祭礼行事等を復興させたい。
活動計画

1年目

新型感染症が終息するまでは、具体的な計画を立てるのが難しい。委員会との相談についても未定である。

2年目

未定である。

3年目

未定である。

無形民俗文化財指定

琴平神社付帯神代神楽―秩父市指定無形民俗文化財

https://www.city.chichibu.lg.jp/4355.html

備 考 第2期過疎地域神社活性化推進施策【施策1】指定神社(令和3年~令和6年6月末日)
  (令和5年2月現在)

 

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