神社本庁

日本人の霊魂観―靖國神社信仰の底流―

日本人の霊魂観・祖先観と靖國神社

 このように考える時、その創建は明治2年とはいえ、靖國神社信仰の底流には、日本人が近代以前から育んできた死生観、霊魂観が脈々と流れ続けていることが、しみじみと実感されます。

 国家公共のために命を捧げた人々を、この世にとどまる神として併せ祀り、国をあげてお祭りするという発想こそ、近代日本の国作りの精華であり、日本文化が培ってきた祖先信仰の結晶が示されているといっても過言ではありません。

 近代日本が経験した戦争、なかんずく先の大戦については、内外にさまざまな議論があります。しかし、そのような価値判断の如何を超えて、公のために命を捧げてきた人々が存在し、そのみたまが靖國神社にお祀りされてきたという事実は動かせません。

 子孫として祖先を尊ぶことは、宗派以前の、日本人の宗教意識の源泉です。公のため、子孫のために命を捧げた方々を祀るのは、日本人の宗教感情の根本に発しています。これを人為的に圧殺するなら、日本人の根源的な宗教感情そのものの枯渇を招くこととなりましょう。

 以上に見てきたように、靖國神社は、戦死者のみたまの鎮まるところであり、遺族はもちろん、多くの国民の心のよりどころであり、祖先と子孫のかけがえのない交流の場なのです。地域の絆も薄れ、核家族化も極まった現今のような社会情勢であればこそ、死者たちの歴史と、子孫の未来が、そこで緊密に結びつく靖國神社の重要性は、いっそう増してゆくでしょう。

 冒頭に記した通り、本稿は、靖國神社について、なんらかの政治的立場を主張をしようとするものではありません。この小文が、従来、ともすれば見過ごされがちな靖國神社の底流に思いを馳せるささやかなよすが、靖國神社のありのままの姿を見直すためのいささかの手ががりともなれば幸いです。