神社本庁

神々の森の文明

社会秩序と神道の神社

 西洋社会では、教会や寺院のある村の中心に広場がある。そして、その広場は肉体的にも精神的にもその村の中心を形成する。一方、日本では伝統的な村は、道に沿って形成され、村のための中心の場を持つことはない。村の人々にとって精神的核と考えられる村の神社でさえ、隔絶された場所に置かれる。そして、それらの道は毎日の行動のための手段としてだけ機能する。しかしながら、道が村社会の中心へ変化する確かな時と機会がある。それは村祭りのときである。
 前もって言及しておくと、古代の日本人は神的存在が険しい山々や深い森のような離れた場所に住んでいると信じていた。しかしまた、村の人々が、神的存在が一時訪れ、とどまることのできる村の近くに建物を建てることによって、そういった場所は訪れやすいものになるだろう。そして人々は、神的存在が訪れやすいものにするために、神的存在への感謝によって儀式や祭りを執り行うのだ。神的存在が山々や森林の中の源の住みかから旅をし、村の儀式を訪れるとき、神的存在は村の道を通る行列によって運ばれていくのだ。
 このような機会により、神的存在は毎日道を通り、そして、その道は清められ、神聖な空間となる。こうして、いつもは目に見えない神の道が出現し、屋台が祭典の一部として道に沿ってたてられる。この時、村全体が、村人が神的存在に祝福されながら互いに幸せと喜びを分け合うことができる、聖なる広場となる。そういった共同社会に対する感覚は、特に、神的存在の訪れを通して確認される。その村が聖なる場へ変化するときに確認されるのであり、いつも村の中心にある教会のような人工の建物の中で確認されるのではないのだ。だから、村の伝統的な社会秩序は、人間と征服される自然界の対立によって象徴されはしない。それは社会秩序に象徴される。いつも自然の奥にいる神的存在、人間と理解し合える神的存在が住めるような社会を作ることができる社会秩序、それに象徴されるのだ。この神聖なるコミュニケイションを通じて、村人は平和と、彼らの生活を支える啓発を感じるのである。