神社本庁

神々の森の文明

鎮守の森

 ところが、日本では古来、幽すいな深山渓谷や、森や滝や岩などの自然豊かな景物ばかりか、植栽した人工の森林さえも、神々や霊性の鎮まる聖地であった。
 とりわけ全国各地に古くから鎮座する〈神社〉こそは、本来は人里遠く、奥深い水源の森山や渓谷などの、天然の風物の内にひそむ隠れた霊性、すなわちカミ(神霊)が、里近くに鎮まるべく迎えられた〈里宮〉であるから、神社そのものが〈鎮守の森〉といわれるように、飽くまで森に籠もる神域を理想とするのだ。
 例えば、昭和30年代に日本を訪れたスペインの文明史家ディエス・デル・コラールは、その後に書いた『アジアの旅−風景と文化』※4という本の中で、特に「鎮守の森」と題して次のように記している。
 この国の広汎にわたって至るところで繰り返された最も印象的な映像は、他でもない森と社(やしろ)とが密接に結合されているということである。……あたかも日本の〈神〉が全自然を満たしている聖なる流れの凝縮した一滴にほかならぬように、日本の神社は、森という神聖にして広大なる住居の最も圧縮された建築的表示ともいうべきものである。
 ここに云う「鎮守の森」、すなわち〈モリとヤシロとの聖なる結合〉がほかならぬ神社の本質であり、伝統的日本人の懐かしいフルサト意識に触れる神道の聖地であることは認められよう。

※4:小島威彦訳 未来社 1967年