神社本庁

日本人の霊魂観―靖國神社信仰の底流―

明治維新の動乱と東京招魂社の創建

 幕末に入るや、日本は、開闢以来の国難、すなわち欧米による植民地化の危機に直面します。この国家存亡の危機に際して、全国から志ある人々が群がり起こり、身命を賭して国事に奔走しました。旧体制たる幕府との戦いで、命を落とす人々も続出しました。

 こうした幕末の動乱の中で、祖国の危機を救うために自らの命を投げ出した人々、国家公共のために尊い命を捧げた人々のみたまを、各地において併せ祀ったのが、全国の「招魂社」のおこりです。

 幕末以来の動乱終結と、新首都東京における新たな国作りの出発に際して、まっさきに行われたことは、こうした内戦、とりわけ戊辰戦争で斃れた方々を祀る、「東京招魂社」を創建することでした。ここで創建された東京招魂社が、のち明治12年、別格官幣社に列格され、靖國神社と改称されることとなったのです。

 靖國神社には、ペリー来航以来の国事殉難者をはじめ、近代日本が経験した数々の内戦、対外戦争で命を捧げた方々が、次々と英霊として祀られてきました。こうした英霊たちが、人生の最後に記したおびただしい遺書には、日本人の死生観・永世観が如実に示されています。

 そこに共通するのは、「愛する国土のため、父母のため、弟妹のために死なねばならぬ」(森岡清美『決死の世代と遺書』吉川弘文館)という思いであり、自らの死によって、子孫たちによき未来がもたらされることへの願いであり、死後もこの国土に魂を留めて子孫たちの行く末を見守ってゆこうとする静かな祈りです。こうした方々の遺志をみたまとしてお祭りすることが、靖國神社の神聖な使命にほかなりません。

 かくして靖國神社では、明治初年の東京招魂社としての創建以来、現在に至るまで、皇室の春秋の御奉幣はもとより、神職・遺族・国民各層による真心をこめたお祭りが、一日たりとも休むことなく厳修され続けているのです。