神社本庁

祭りのパラダイム(理論的枠組み)

象徴的段階

 上記の枠組みに依れば、祭りには様々な象徴的行動がある。あるものは儀式的性質を持ち、あるものは祝祭の性質を持つ。時にはこの儀式と祝祭が連続して、またある時には同時に発生する。しかし多くの場合、一般的な区別がつかないほど複雑に入り組んでいる。これは多分、ここで問題となっている儀式と祝祭の区別が単に一般的なものであり、詳細にわたるものではないという事実によるものであろう。しかしながら上記の各段階で、祝祭と儀式のどちらが主要な要素であるかを示すことは可能である。
 第一の段階は祝祭の前夜に行われる一連の儀式であり、神の出現を仰ぐ場所の準備が完了したことを表わしている。種々の清めの儀式(食や性生活の制限の後に罪を祓う儀式)の後、夜に行われる儀式であり、そこでは翌日の行列にそなえて神の象徴的な乗り物である御輿に神霊を移す儀が行われる。これは通常神社もしくは他の場所で、公衆の目からは見えないようにして、神職と少数の氏子だけで行われる。
 第二の段階は神社から御輿が出て、神がお休みになる場所であるお旅所までの行列である。この場所はその神が誕生したところ、もしくはよく神が現われた場所であり、神の生命力を満たすのに最も適切な場所と考えられている。この段階で行われる動きはスケールは大きいが、しかしまだ生命力が満ちてくるとか「生命の躍動」と云う程には至らない。何故ならその前提条件である神の恩恵の祈願、そしてその恩恵にあずかるための象徴的な儀式がまだ実行されていないからである。
 「生命の分与」のための主な儀式は第三の段階で起きる。お旅所での儀式は象徴的な豊かさと、以前のどの段階にもまして多くの参加者をもって華麗に行われる。この神聖な場所で神は再び活気をおびるのである。神の誕生の「源泉」に帰ったためでもあり、かつ氏子が神に捧げたもてなしの故でもある。神は氏子に対し善き心を持ち、そして氏子は神の恩恵に浴することができるのである。
 第四の段階は、祝祭的要素が主であり、第三段階で儀式的に準備された生命力の増大を表している。街には騒乱と興奮が渦巻き、祭りの参加者や見物人達は命のみなぎる神の生命力を分かちあう。
 最後の段階は儀式的行為であり、神職と数人の氏子が御輿から神霊を神殿に戻す。神の恩恵に感謝し、参加者達は神を興奮の状態から以前の静謐と休息の状態へと戻すのである。
 この「祭り」のバラダイムは実際の「祭り」を解釈する上での参考の一つとして典型的な型を示したものである。