26 琉球王国と日本の神さま

okinawaかつて琉球王国であった沖縄県内には、御嶽(うたき)と総称される「聖域」が多く点在しています。御嶽は、古から各集落にあった「祈りの場所」といわれ、中でも王国随一の聖域とされる「斎場御嶽(セーファーウタキ)」は、平成12年(2000年)に世界遺産に登録されました。

琉球王国には、海を渡って様々な文化が入ってきたといわれ、16世紀には、日本の僧・日秀によって観音寺も開かれました。

日秀は、和歌山県・高野山の真言僧で、南方の海上彼方に観音浄土(補陀落山(ふだらくさん))があると信じ、熊野から船出、琉球へ流れ着いたといわれています。こうした補陀落渡海といわれる信仰は、当時、多くの僧たちによって行われていたようです。

日秀は、観音寺内に熊野三神をお祀りし、その社は「金武宮(きんぐう)」と呼ばれました。

こうした社寺は、御嶽と同じ場所に建立され、琉球王府からは禄を与えられ、現在も「琉球八社」として、人々に信仰されています。

琉球八社の御祭神の多くは、熊野三神ですが、その中でただ一つ「安里八幡宮(あさとはちまんぐう)」は、八幡神がお祀りされています。これは、1457年、第六代尚徳王が喜界島討伐の際にお祀りしたものです。

また、八社のひとつ「波上宮(なみのうえぐう)」内にある浮島神社仮宮の由緒書には、1451年、尚金福王の時代、中国(明)の使節を迎えるため、長さ1キロメートルに及ぶ「長虹堤(ちょうこうてい)」を建設するにあたり、天照大神をお祭りした旨が記載されています。

日秀により熊野三神が祀られる以前から、国王の国家安寧を祈る思いによって神社が祀られたという史実は、たいへん興味深いものといえましょう。

平成28年12月15日

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